2013年9月23日月曜日

太宰と太師が並置できるってまじ?

 昨日の太宰に関する記事を出したあと、ツイッターで次のような指摘を頂いた。


 さっそく見てみると、『晋書』巻111慕容暐載記に以下のような記事がある。
升平四年、僭即皇帝位、大赦境内、改元曰建熙、立其母可足渾氏為皇太后。以慕容恪 為太宰・録尚書、行周公事。慕容評為太傅、副賛朝政。慕輿根為太師。・・・

升平四年、(慕容暐は)僭越にも皇帝の位についた。支配領域内に大赦を下し、建煕と改元し、母の可足渾氏を皇太后に立てた。慕容恪を太宰・録尚書とし、行周公事[1]とした。慕容評を太傅とし、朝政を輔佐させた。慕輿根を太師とした。・・・
 確かに並置されている・・・!
 そしてこの指摘を受けて思い出したのだが、匈奴劉氏の漢も太宰と太師が並置されているのだ。
粲誅其太宰・上洛王劉景、太師・昌国公劉顗、大司馬・済南王劉驥、大司徒・斉王劉勱等。(『晋書』巻102劉聡載記)

劉粲は太宰の上洛王劉景、太師の昌国公劉顗、大司馬の済南王劉驥、大司徒の斉王劉勱らを誅殺した。
 もうっ、匈奴ったらあほたむだなぁっ! くらいにしか思ってなかった。そりゃそうだろう、「太宰=太師の別称」説に立っていれば、こんなん無知にしか思えん。しかも非漢族政権ときたもんだから、まあ無知でもしょうがなかろうと考えてしまう。
 が、しかし先日の記事で指摘したように、『斉職儀』に記されている説=「太宰は単に『周礼』に従って置いただけで、諱を避けるために太師の代わりとして置いたわけではない」という話を信じれば、これら五胡政権の並置は何ら不思議なことではなくなるのだ。だって、そもそも太宰は太師の別称ではないし、太宰と太師とは全く別の独立した役職ということになるのだから。
 それに、つい五胡政権だから中国官制に無知だろうなんて思ってしまうけれど、こうした中国式制度の確立・整備をするためには、漢人知識人の力が必要だ。というか彼ら漢人ブレーンによってほとんど構築されているに違いなかろう。もし「太宰=太師」であるというのなら、彼ら漢人ブレーンがそんな単純なミスを犯すとも思えない。という風に考えると、「太宰=太師」説というのはかなり胡散臭く思えないだろうか。

 ということで、別に決定的な根拠があるわけではないが、わたしは「太宰とは、諱を避けるために太師の代わりとして置かれた官職である」という説を棄却し、「『周礼』に従って設けた官職であって、太師とは関係なく置かれた」説を採用しようと思う。沈約さん、あんたまちがってるで、あんたの採用した説が俗説なんや!(ドヤ


――注――

[1]周公のような権限あげますということ。周公は太宰であったと伝えられているから(『漢書』王莽伝・上、『宋書』百官志・上など)、その故事を意識して太宰と行周公事をセットで与えたのだろう。[上に戻る]

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