それともう一冊、わりと面白そうな本を買った。林素娟『美好与醜悪的文化論述――先秦両漢観人・論相中的礼儀・性別与身体観』(台湾学生書局、2011年)というもの。総頁414。5000円近くしたのだけども、日本の古代中国史研究でこんな感じの(挑戦的な)テーマはあんまり見かけないし、面白そうだから購入した。目次を眺めてみると、儒教や方術の身体観や、美的感覚、女性に対する美醜観が論じられている様子。古代史というと、金太郎飴のようにだいたいが国家ガー政治ガーばっかり論じる傾向にあるけども、本書のように「感覚」を問題に設定するのは現代チックな感じがして、いったいどういう議論をしているんだろうかと気になる[1]。
そんなことを期待しながら冒頭のほうを少しめくってみると、モーリス・アルヴァックス、ガダマー、ポンティといった名前が。ほかにもフーコー、ヘイドン・ホワイト、ポランニー、ブルデュー、とよく知られた人たちが引用されている。少し古い世代の人たちとはいえ、古代史ではめずらしい引用の顔ぶれ。参考文献を見ると、私も知らない欧米人の著作が並んでいる。
ここで思い出したのが、廖宜方『唐代的歴史記憶』(台大出版中心、2011年)という著作。昨年お世話になった研究書なのだけど、最近何かといろんなジャンルで見かける「記憶」をテーマにしている。導論では、モーリス・アルヴァックスの「集合的記憶」とか、ハーマンらの「トラウマ」の研究成果、さらにはドイツのヤン・アスマンとアライダ・アスマンを中心とした研究グループ「文化的記憶論Cultural memory studies」を引きつつ、「歴史記憶」という新たな概念の理論構築を試みている。残念ながらその理論構築はうまくいっていないと思われるが[2]、本書を通してアライダ・アスマンらやクリフォード・ギアツを知るきっかけになったので、けっこう感謝している[3]。
なんかよく知らんのだけど、台湾だとこういう研究傾向にあるのだろうか。ずいぶん現代チックになったというか。こういう研究はたいてい、周囲からは冷ややかに見られるし、うすっぺらい研究だと見なされがちであるが、わたしはこんな傾向のほうが面白いと思っているので、いいぞもっとやれ!的な。ただまあ、あちら側の思想をそのまま輸入したようなやつはやめていただきたいが。
――注――
[1]アラン・コルバンだっけ?「におい」の歴史とやらを書いたのは。ほかにもいわゆる「アナール」には身体に関する歴史を書いた誰かがいたような気がする。[上に戻る]
[2]わたしが見るところ、廖氏はCultural memory studiesへの理解が浅い。このグループは、過去とは「記憶の再構築作用のように」再構築される、という構築主義的スタンスに立っているのであり、その様相を「記憶」の言語(想起、保持、忘却)を用いることで記述しようという方法論なのである。だからこの方法論においては、文化=メディア(書物、祭日、身振りなど)として保存された過去の情報は、歴史であろうと神話、物語であろうと、その都度の集団や個人によって再構築された過去なのだ、という理解である。だとすると、「歴史記憶」という言語表現はそれ自体でもはやおかしさを感じさせる。「歴史についての記憶」とでも言いたいのだろうか。それは「記憶のように構築された歴史」ということであろうか。そうだとすると、「文化的記憶」と何が違うのだろうか。わざわざ「歴史記憶」という、そもそも定義すら明確に行い得ていない言語を導入する必要がどこにあるのか。という具合でわたしは廖氏の方法は上手くいっていないと考えています。が、このような議論をしようとしたことに関しては、非常に好感をもっています。[上に戻る]
[3]アライダ・アスマン『想起の空間――文化的記憶の形態と変遷』(安川晴基訳、水声社、2007年、原著は1999年)、クリフォード・ギアツ『文化の解釈学』Ⅰ・Ⅱ(吉田禎吾ほか訳、岩波書店、1987年、原著は1973年)。エストリッド・エル氏が執筆した「文化的記憶論」の手引論文では、「文化的Cultural」という言葉は、カルチュラル・スタディーズのような意味合いではなく、文化人類学的な意味で使用している、と述べられており、ギアツの『文化の解釈学』を参照するように注記されている。このエル氏の論文を読んでわたしはギアツをかじりはじめた。Astrid Erll, “Cultural Memory Studies: An Introduction” (In A. Erll & A. Nünning eds., Cultural Memory Studies: An International and Interdisciplinary Handbook, Berlin and New York: Walter de Gruyter, 2008) を参照。[上に戻る]
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