2013年12月2日月曜日

話し言葉と書き言葉の交錯

教養言語、文語はすべて、本の中に独自の存在領域を持つようになります。これは人の口という普通の領域から独立した、異なる伝播の領域です。本のための言語の用法が確立し、正書法と呼ばれる本のための文字表記のシステムが確立します。本が会話と同じくらい大きな役割を果たすのです。
――フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』



 六朝時代は言語に対する感性がとくだん研ぎ澄まされた時代。『世説新語』文学篇の以下の逸話は、中国における言語観をよく示しているんじゃなかろうか。
楽尚書令は清談を得意としていたが、文章を作るのは不得手であった。河南尹を辞退しようとしたとき、(文章の上手い)潘岳に(自分の代わりに辞退の旨を告げる)上表文を書いてくれないかと頼んだ。潘岳、「書きましょう。あなたのおっしゃりたいことを言ってください」。楽広は辞退する理由を言葉にしてみたが、二百語を数えるばかり。(ところが)潘岳はすぐに言葉を拾って組み合わせ、たちまち名文に仕上げてしまった。当時の人々はこう言いあったそうだ。「もし楽どのが潘どのの文章を利用できず、潘どのが楽どのの考えを得なかったら、あれを作るのは無理だったろうさ」(楽令善於清言、而不長於手筆。将譲河南尹、請潘岳為表。潘云、「可作耳、要当得君意」。楽為述己所以為譲、標位二百許語、潘直取錯綜、便成名筆。時人咸云、「若楽不仮潘之文、潘不取楽之旨、則無以成斯矣」)
 書き言葉と話し言葉の明確な技法の違い。同じ言語であってもそれぞれが創り出す世界はまったく違うのだと言わんばかりの言語世界観を見せてくれているじゃありませんか。話し言葉のほうが書き言葉よりより純粋なのだとかそういう優劣思想もここには見られないね。
 ここで范曄を挙げておこう。彼の最期の作品「獄中与諸甥姪書」(『宋書』巻69本伝)では以下のように自己の人生が回想されている。
 私は若いころ学問を怠けたために、一人前になるのが遅れ、三十歳ばかりになってようやく方針が定まったほどだ。それ以来、しだいに心境が変わり、すぐに老いがやってくるからと考え(学問に打ち込むようになっ)たが、いまだ完成していない。しばしば少し理解できたことがあっても、言葉では表現し尽くせなかった。(かといって、)注釈を調べない性格だったので、心中わだかまりがあっても、ちょっと悩んでは、(うまく表せずに)いらいらするといった状態だった。口弁も得意でなかったので、清談の業績もない。(そのため)理解できたことに関しては、すべて自分の胸中にしまい込むだけであった。
 文章はかえって上達するようになったのだが、才能に乏しく、発想も貧しかったので、筆を取るたびに書いた文章は、ほとんどすべて褒められたものでなく、いつも文士とされることが恥ずかしかった。(ところで、)文章の弊害としては、叙述が対象の描写に終始すること、心が修飾に集中すること、語の意味が文章全体の趣旨を損なうこと、韻の調整のために文意が変更させられることが挙げられる。たまに文章の上手い者がいても、おおよそこれらの弊害からは逃れられておらず、(そうであっては)うまい絵画のようなもので、とうとう(本当の文章を)得られない。(書くために書いたり、外観に専念したりして、内容をおろそかにしてはならない。)いつも思うに、(文章は)心をかこつけるものだから、まさに意図を第一とし、言葉に文飾を施してその意図を表現するべきだ。意図を第一とすれば、その文章の趣旨が必ずはっきりするし、文飾を施してその意図を表現すれば、その文章は印象に残る。こうしたことを踏まえた後で、(さらに修飾を加え)良い香りをただよわせ、美しい音色を響かせるようにするのである(吾少懶学問、晩成人、年三十許、政始有向耳。自爾以来、転為心化、推老将至者、亦当未已也。往往有微解、言乃不能自尽。為性不尋注書、心気悪、小苦思、便憒悶。口機又不調利、以此無談功。至於所通解処、皆自得之於胸懐耳。文章転進、但才少思難、所以毎於操筆、其所成篇、殆無全称者、常恥作文士。文患其事尽於形、情急於藻、義牽其旨、韻移其意。雖時有能者、大較多不免此累、政可類工巧図繢、竟無得也。常謂情志所託、故当以意為主、以文伝意。以意為主、則其旨必見、以文伝意、則其詞不流。然後抽其芬芳、振其金石耳)
 口下手な彼も文章は超一流の腕前にまでみがきあげたというところがわたしのお気に入りの箇所。なんかまあ、口頭でうまくしゃべれんだけで「コミュ障」とかいうことを言い出すどっかの社会がアレですね。
 ところで、さりげなく触れられているだけだが、韻=リズムのことが述べられている。この時代(に限らないが)、文章はすべて声に出して読まれるべきものであり、音読したときのリズム(韻)が美しくないと文章としてはイカンというわけだ。范曄は、リズムにとらわれ過ぎて文意がダメになってしまうというやり過ぎを批判していたわけです。
 文章はすべて声に出して読まれるべきだ、というこの発想。案外重要な考えだと思う。というのも、これは史書を読むときにも該当したようだからなのだ。
当時、『漢書』はたいへん尊重され、学者はみな暗誦したほどであった(当世甚重其書、学者莫不諷誦焉)
 『後漢書』伝30上・班彪伝附固伝にあるちょっとした記述だけど、「諷誦」(暗唱・朗読)は見逃せない記事なんじゃなかろうか。『漢書』という史書といえど、それは一種の文章作品としても愛好されたわけである。
 中国は「歴史」の国だとよく言われる。だが、すこぶる近代的な概念である「歴史」や「歴史学」を見かけだけ中国古代にあてはめるのは慎重になったほうがよいかもしれない。たしかに、中国では史書は古くから記述されてきたし、史学の伝統も長い。が、それら「史学」や「史書」はわたしたちが現代的に使用する「歴史学」や「歴史書」と同じようなニュアンスで表現して良いのだろうか。そこにわたしは違和感を覚えることがある。
 そんだけです。すんませんでした。

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