6月は改心して色々読んだ。未だ評価が定まらぬのは生成文法。ウィトゲンシュタインに親しみを感じる以上、生成文法はウソかレトリックの域を出ないようにしか思えないのだけど(実際、リチャード・ローティはカントへの回帰みたいな評を下していた)、なにぶん脳科学関係は疎いので、もう少し様子見。それにしてもアレだね、映画で「この世界は脳が見せている映像だ、全ては信号だ」みたいな話がやっていたけれど、脳科学がそのくらいの主張に収まるのならば、ようやく科学は形而上学(現象学)に追いついたのか、くらいの感想しか出ないっすわ。しかり、この世界は脳の信号で成り立っているとしても全く構わないし、そのような説明は斬新ではあるが神秘的ではない。神秘なのはなぜ脳が世界を見せているのか、である。『論考』のウィトゲンシュタインならば、そう言うんじゃないかしら。
平勢先生はたしかに日本語は難しいところもあるが、論理をたどっていけばかなり真っ当で、重要な主張をしているように読めた。谷川先生については思うところが多々あるので、そのうちまとめるかもしれない。しかしブログには収まらんかもしれん。
2013年6月の読書メーター
読んだ本の数:18冊
読んだページ数:5118ページ
ナイス数:8ナイス
新・自然科学としての言語学: 生成文法とは何か (ちくま学芸文庫)の感想
言語(記号)は音と意味の恣意的結合から成るというソシュール的言語観を下敷きに、どうしてその言語を人間が操作できるのかを解明しようとする。提示するモデルは、脳の処理(言語機能)であり、その初期状態(普遍文法)から何らかの言語的刺激を与えられて安定状態(個別言語)を得るとするもの。数学言語を用いて論じた箇所は全くわからないが、その試み字体は非常に興味深い
読了日:6月3日 著者:福井 直樹
古代〈中華〉観念の形成
読了日:6月5日 著者:渡邉 英幸
方法序説 (岩波文庫)の感想
家は多人数で作るより、一人で作った方がデザインも一貫していたりしていて、とにかく良い。しかし一人でイチから作るのは大変である。だからすでに誰かある個人が家を作っていて、そこが住み心地良かったら、そこに住めばよい。しかしデカルトにそんな家はなかった、だから自分で作ることに決めた。だいたいそんな話。私はデカルトが依存した「神」の世界を信じないが、このデカルトの「自己開発」(漱石流に言えば「自己本位」)の話は全く正しいと信じている。だから、私は他の哲学者の言葉に安住します
読了日:6月6日 著者:デカルト
史記の「正統」 (講談社)の感想
「我々の言語に埋め込まれている或る挿し画に事実の方が合わねばならぬという考え」(ウィトゲンシュタイン『青色本』)。史記は正統の形式を創出して、それに事実を合わせた、だからそれを取り払う必要があるという主旨。称元法、暦などを手がかりに、複数の正統が混在したまま誤認識されたことを浮き彫りにしている。
読了日:6月9日 著者:平勢 隆郎
フランス歴史学革命―アナール学派 1929‐89年 (NEW HISTORY)
読了日:6月9日 著者:ピーター バーク
増補 科学の解釈学 (ちくま学芸文庫)
読了日:6月11日 著者:野家 啓一
経済学に何ができるか - 文明社会の制度的枠組み (中公新書)
読了日:6月13日 著者:猪木 武徳
<私>のメタフィジックス
読了日:6月16日 著者:永井 均
李鴻章――東アジアの近代 (岩波新書)の感想
清朝は日本や西欧の言うがまま、みるみる落日してゆくのみ、といったイメージが強い。が、中国にも中国の意図や論理があった。それを丁寧に描いており、多くの点で認識を改められた。李鴻章を中心として描かれた、当時の中国社会や政治の様相、問題点も説得的。日清修好条規をめぐって、清朝としてはそれを一向に守ろうとしない日本にいらだつと同時に脅威を覚え、日本としてはいつまでも条規を持ち出す清朝に煮え切らないものを感じ、両者対話不足ですれちがったまま戦争に、というストーリーは、「所詮過去のこと」とは言ってられない気もした
読了日:6月16日 著者:岡本 隆司
トクヴィル 現代へのまなざし (岩波新書)
読了日:6月16日 著者:富永 茂樹
歴史家の同時代史的考察について (1983年)の感想
啓蒙主義的「進歩」の物差しから見れば、中国の歴史は繰り返しの停滞に映るだろう。しかし、中国の人の中国史の読み方は、現実の問題を歴史に投影して、過去と現在の位置を内面的に理解するもので、さればこそ変化より類似に注目が行っていたのだ。という。そのような内在的読みを津田左右吉、内藤湖南は出来ていたのか、我々は出来るのか、といった話にまとめている。ベンヤミンが膾炙した現代であれば、歴史に進歩思想のみを見るのは古臭い発想だと一蹴できるが、この先生はそれ以前にやってのけていた。そこがすごい
読了日:6月17日 著者:増淵 竜夫
中国史とは私たちにとって何か―歴史との対話の記録
読了日:6月18日 著者:谷川 道雄
文化政治としての哲学の感想
「『神は存在するか』を問うべきではなく、『神の存在について問うことは社会に有用か』を問うべきだ」。この文句に、ローティの思想が端的に表明されている。真理や道徳などは社会的(言語的)に構築されたものだと見なす社会的構築主義、何について語ることが社会や人間(の生)に有用かを「会話」する社会的実践として哲学を捉えるネオ・プラグマティズム等々。私はローティほど社会への実践を意識することはできないが、ローティの言わんとすることはだいたいわかったつもりである。
読了日:6月18日 著者:リチャード・ローティ
中国中世の探求―歴史と人間の感想
人間の理解の「方法としての歴史学/中国史」が氏のスタンスである。制度、経済のような外的変化はもちろん重要だが、その中身に次代を築こうとする人間の未来志向エネルギーを内在的に把握しなければ、人間の生のあり方を追求したとは言えぬとする。というのも人間は、種々の時代的制限(不自由)はあっても、その中で自らの生を主体的に決断して生きているからであり、その意味で生とは「自由」だから、と言う。ハイデガー?サルトル?的。旧パラダイムに固執しているのは明らかだが、「方法としての歴史学」には共感するところが多い
読了日:6月20日 著者:谷川 道雄
世界史の中のパレスチナ問題 (講談社現代新書)の感想
「現代を理解するための歴史叙述」といった印象が強く残った。「おわりに」でイスラエル/パレスチナ問題をめぐる不正不義に苛立ちと絶望を感じると率直に心情を吐露しているが、叙述は冷静中立になされており、アメリカがどうしてイスラエルと特別な関係を維持せざるを得ないのかなどについても、丁寧に説明されていた。私はユダヤ教や聖地に関する言説に馴染みがなく、わからない感覚も多々あるけれど、この問題に多くの不正不法無関心が絡んでいることは感じた。政治の醜さも感じたけども、政治でなくては解決し得ないのだろう
読了日:6月20日 著者:臼杵 陽
経済学・哲学草稿 (光文社古典新訳文庫)の感想
「疎外された労働」から疎外されれば正常だろうか。そんなんはともかく、資本主義下の労働者たちの機械化、自己喪失現象に問題を感じたマルクスの議論は、現代だからこそ読むに値すると思う。
読了日:6月25日 著者:マルクス
ドイツ・イデオロギー 新編輯版 (岩波文庫)の感想
歴史、というか、人間社会への観方の根本的な転換を迫っている。唯物論(人間の生存は物質的諸条件にかかっている)、弁証法的歴史主義(全ての現象を止揚の歴史過程と捉える)、疎外化(人間が社会を作った後、社会が人間を支配する)。見辛い感じはするが、訳はこなれている
読了日:6月25日 著者:マルクス,エンゲルス
戦後日本から現代中国へ―中国史研究は世界の未来を語り得るか (河合ブックレット)
読了日:6月30日 著者:谷川 道雄
読書メーター
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