気が向いたので前回の続き。
「増位」の行われた回数を王朝ごとに計算してみると以下の通り。
増位 賜爵
西晋 4 1
東晋 13 3
楚 0 1
宋 10 16
斉 7 5
梁 6 20
陳 2 15
参考までに賜爵の回数も附しておいた。1、2回の数の出入りはあるかもしれないがそれはアレで。なお晋南朝の賜爵が両漢代に劣らぬペースで行われていることについては、既に戸川貴行氏の好論で指摘されている。「魏晋南朝の民爵賜与について」(『九州大学東洋史論集』30、2002)を参照されたい(CiNiiからリポジトリで見れます)。
こうしてみると「増位」にはムラがある。晋代~宋代はそこそこだが徐々に減少。まあしかし、それは王朝の持続年数によると言えなくもない。
だが一転、賜爵の方は宋代から増加し、梁陳では相当頻繁になされている。より具体的に言うと、賜爵は劉宋・孝武帝期から増加しはじめる。どうやらこの皇帝が契機であるように思われる。
「増位」というのは、漢代の賜爵という断絶した故事を代替するために創られた、新しい伝統だったのかもしれない。しかし古き伝統たる賜爵が復活するに伴い、新しく創られた伝統はお役御免になったのかもしれない。だったら楽しいのにね
続きはこちら(晋南朝の「増位」(2))
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