其余増封進爵各有差、文武普増位二等。
そのほか、封邑を加増したり、爵を進めたりすることは各人に等差が設けられて行われた。文武官は全て「位」を二等加増した。ここの「位」を何と訳すべきであるか?「二等」「増す」のであるから、何らかの体系を有した「位」なのだろう。しかも「文武」官に限定されているのだから、官吏に関係ありそうな「位」であろう。
そんなもん決まってる、官位だろう!とは、残念ながら言えない。「官位とは何か?」と切り返されるだろう。この時代、官が有した位はいくつかある。官品、郷品等々。あなたの言った官位とはどの官位か?と問われるのは目に見えている。
このような皇帝による一律「増位」の事例は、この記事を皮切りとして、西晋・東晋17例、南朝25例が確認される(『晋書』『宋書』『南斉書』『梁書』『陳書』『南史』『文館詞林』)。
この「増位」を見て想起されるのは、民に爵一級を賜うという、漢代の賜爵の記事。
朕初即位、其赦天下、賜民爵一級。(『漢書』巻4文帝紀)何だか文言がよく似ている。しかし、「増位」というのは爵を増したというわけではなさそうである。というのも、『南斉書』巻2高帝紀・下・建元元年の条に、
可大赦天下。改昇明三年為建元元年。賜民爵二級、文武進位二等。
天下を大赦する。昇明三年を建元元年に改める。民には爵二級を賜い、文武官は「位」を二等進める。とあって、どうやら別個の事柄であるように読めるからだ。
とすると、ほかに候補として挙げられそうなのは・・・官品、郷品、班位(朝廷での席順)など。
また南朝、とりわけ劉宋孝武帝期以降、漢代同様の賜爵が行われるようになるのだが、これと「増位」との関係はどうなっているのだろう?どういう場面で「増位」したのだろう?
気が向いたらまた次回。
続きはこちら(晋南朝の「増位」(1))
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