1時間くらいじーっと眺めて、「あ、この字かもしんねえ」って感じるところがあったら、くずし字辞典を開いて確認して、どうも違う感じだったらまた1時間くらい眺めて考える。だいたいこんな風なことを言っていた。なんと非効率的で非科学的な・・・。かつてウィトゲンシュタインはこんなことを言っていた(『論理哲学論考』6-52)。
たとえ可能な科学の問いがすべて答えられたとしても、生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう。この言述にもう1つ付け加えることができる、「くずし字も科学では解決できません」 。
思えば、簡牘史料を使い始めた当初、先輩から「ひえん君、ちゃんと木簡の写真図版も見て、文字を確認しないとダメだよ」と言われ、純粋無垢な私は「はいっ!」と意気込んで木簡の図版をチェックしたものである。そしてその度に、「どうして二匹のミミズが「爲」という字になるんだよ、おかしい!社会は理不尽だ、不公平だ、滅んでしまえ!」と思ったものである。
まあとにかくアレだね、簡牘の釈字をやってる人は本当にすごい。本当にこの仕事をやっている人には頭が上がらぬ。
どうしてこんな話になったかというと、いまくずし字を読む仕事をしていて、それでそん時に上の日本史研の友人の言葉が思い出されたという、そんな話。
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