2013年6月6日木曜日

くずし字

 学部生のとき、日本史専攻の友人と話していたところ、何でも日本史研は年末だか年度末だかにある施設を貸し切って終日そこに閉じ籠り、くずし字文書解読合宿をやるのだとかいうことを言った。うわーさすが日本史研、キチってるなー、とか思ったものだが、気になったついでに「くずし字ってどうやって読んでるの?」と聞いてみた。
1時間くらいじーっと眺めて、「あ、この字かもしんねえ」って感じるところがあったら、くずし字辞典を開いて確認して、どうも違う感じだったらまた1時間くらい眺めて考える。
だいたいこんな風なことを言っていた。なんと非効率的で非科学的な・・・。かつてウィトゲンシュタインはこんなことを言っていた(『論理哲学論考』6-52)。
たとえ可能な科学の問いがすべて答えられたとしても、生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう。
この言述にもう1つ付け加えることができる、「くずし字も科学では解決できません」 。
 思えば、簡牘史料を使い始めた当初、先輩から「ひえん君、ちゃんと木簡の写真図版も見て、文字を確認しないとダメだよ」と言われ、純粋無垢な私は「はいっ!」と意気込んで木簡の図版をチェックしたものである。そしてその度に、「どうして二匹のミミズが「爲」という字になるんだよ、おかしい!社会は理不尽だ、不公平だ、滅んでしまえ!」と思ったものである。
 まあとにかくアレだね、簡牘の釈字をやってる人は本当にすごい。本当にこの仕事をやっている人には頭が上がらぬ。

 どうしてこんな話になったかというと、いまくずし字を読む仕事をしていて、それでそん時に上の日本史研の友人の言葉が思い出されたという、そんな話。

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