驃騎・車騎・衛将軍、伏波・撫軍・都護・鎮軍・中軍・四征・四鎮・龍驤・典軍・上軍・輔国等大将軍、左右光禄・光禄三大夫、開府者皆為位従公。
驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍、伏波・撫軍・都護・鎮軍・中軍・四征・四鎮・龍驤・典軍・上軍・輔国などの大将軍、左光禄大夫、右光禄大夫、光禄大夫で、開府辟召を授けられた場合はみな「位従公」となる。
特定の官にある者が開府を加えられた場合、「従公」という位、つまり公よりワンランク低い位になるのだ、と読めそうである。
が! ちょっとまってほしい。末尾をよく見ると、「為位従公」、すなわち「位従公と為る」とある。はたしてこれは「位が従公と為る」という意味なのだろうか。そのように読もうとするにはやや違和感のある語順である。
そう思い調べてみると、たとえば『通典』に載せる晋官品の第一品に「諸位従公」と、やはり「位」の字が付いているし、『南斉書』の百官志でも特進などを「位従公」と言っている。ほかの用例を調べてみても、用例の多くが「位従公」である。
いっぽう、公や卿は「諸公」「諸卿」であって、「諸位公」「諸位卿」ではない。
言いたいことをうまく表現できないのだが、ようは「位従公」の「位」は不用意に外さないほうがいい文字なのではないだろうか。この三字を「従公という位」と読んだり、はたまた「位」を省略して「従公(となった)」と読むのは不適切なのではないだろうか。この三字はあくまで「位従公」ひとかたまりで読むべきではないだろうか。
だとすればこれは何を意味するのかというと、「位は公に従う」=「朝位は諸公に準じる」ということではないかと考える。
「位」=朝位は席次を言うが、ここで「公に従う」のはもちろん朝位のみを指すのではなく、朝位によって可視化されるところの礼的な場における序列のはずであろう。
私が何を言いたいのかすでに察した方もいるかもしれない。私は「位従公」を「儀同三司」と同じ意味だと捉えたいのである。
あくまで「朝位は公に準じる」という朝位が存在したのであり、それがのちに簡略に表現されてたんに「従公」と呼ばれるようになったとしても、はじめから「従公」なる朝位が設けられていたのではないように思われる。
さて、このような解釈にもとづくと、職官志の「位従公」――職官志では「開府位従公」とも表記される――に関する規定も理解がしやすくなるはずである。
たとえば次の文。
太宰、太傅、太保、司徒、司空、左右光禄大夫・光禄大夫開府位従公者為文官公、冠進賢三梁、黒介幘。
大司馬、大将軍、太尉、驃騎・車騎・衛将軍・諸大将軍開府位従公者為武官公、皆著武冠、平上黒幘。
文武官公、皆仮金章紫綬、著五時服。……。
諸公及開府位従公者、品秩第一、食奉日五斛。
太宰、太傅、太保、司徒、司空、および開府位従公の左右光禄大夫と光禄大夫は文官公であり、進賢三梁冠をかぶり、黒介幘である。
大司馬、大将軍、太尉、および開府位従公の驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍、諸大将軍は武官公であり、みな武冠を着用し、平上黒幘である。
文官公と武官公はみな金章紫綬を授けられ、五時服を着用する。……。
諸公および開府位従公は、品秩第一、俸禄は一日につき五斛。
朝服の詳しい形などは私もさっぱりわからないので説明はできないのだが、諸公(太宰などの上公や司徒などの三司)と「開府位従公」との間には朝服や官品などにまったく違いがない。
厳密な朝位はもちろん諸公のほうが上であっただろうとは想像されるものの、礼遇は基本的に諸公に等しい、つまり「儀同三司」である。
冒頭に引用した文の「開府を授けられたら「位従公」となる」というのは「開府を授けられたら儀同三司となる」という意味であり、「開府位従公」というのは「開府儀同三司」の意味である。
しかし、私のこの解釈は、すでに「儀同三司」というのがあったのに、なぜ「位従公」という別の言い方をするのか、という疑問が生じてしまう。
思うに、儀同三司はもともと「儀は三司に同じ」という特別待遇のことを言っていたのに、いつしかこの語で固定化して「儀同三司」という特別な称号ないし散官のようなものになってしまったため、かつては「儀同三司」の語で表現したかったことを「位は公に従う」と言うようになったのではないか。まあ、すごく苦しい理屈ですね。
とりあえず、職官志の「位従公」は「儀同三司」の意で取ると文意が通じるように思われるので、さしあたりはこの解釈に従いたいと考えている。
***
ついでにもう少し。
職官志には次のような文もある。
驃騎已下及諸大将軍不開府非持節都督者、品秩第二、其禄与特進同。置長史、司馬各一人、秩千石。……。
驃騎将軍以下(驃騎・車騎・衛の三将軍)および諸大将軍で、「不開府」かつ持節都督でない場合、品秩第二、俸禄は特進と同じ。府に長史と司馬それぞれ一人を置く。長史と司馬は秩千石。……。
この文、変に思わないだろうか。「不開府」であるのに長史や司馬を置いている、つまり府はあるのである。
ここで、文のはじめに指定されている「驃騎已下及諸大将軍」が冒頭で引用した「位従公」の規定に見えている将軍号であるのに注意しよう。
これらの将軍が「不開府」だというのは、「位従公」とならなかった、ということである。そしてそれは、私の解釈にもとづけば、「儀同三司」とならなかったという意味である。
すると上に引いた文は、驃騎等の将軍や諸大将軍で(開府)儀同三司にならず、かつ持節都督でもない場合は、諸公および開府位従公よりも規模の小さい府を開く、という規定を記しているのではないだろうか。
このような解釈が成り立つと、ここの「不開府」や冒頭の引用文の「開府者皆為位従公」という場合の「開府」というのは、じつは実質的な意味がない、ということになってしまう。
「開府」を加えられることによって、はじめて府を設けて属僚を辟召する権限が与えられるのではなく、「ふつうの驃騎将軍ではありませんよ」「ふつうの光禄大夫ではありませんよ」ということを示したいためだけに加えられるもの、あるいは儀同三司とするために加えられるものと考えなくてはならなくなってしまう。
さすがにそこまで考えるのはおかしいと感じており、調べなおしたいところなので、「開府」に関しては結論めいたものを出さないでおく。
正直、いままで開府とか儀同三司とかたいして注意して見ておらず、どういう官位の者に開府が加えられているのかまったく考えてなかった……。すいません……。
もしすでにこれらのことを論じている文章があればご教示いただけると助かります。
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